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Encyclopedia of niime

いのちの循環 動物と地球と創造について

〈後編〉

2024 . 12 . 26

〈前編からの続き〉 玉木「最近私が思うのはね、宇宙があって、地球があるじゃないですか?その中に空気も、水も、植物も、昆虫も、動物も、人も、全てがあって地球でしょ?」 —— はい。 酒井「全てが。」 玉木「良いものも悪いものも、全部ひっくるめて、地球なんですよ。地球の上にいろんな要素がいっぱいある中の、越川さんなの。ってことは、越川さんて、地球なんですよ。」 —— …???……地球の一部って話ですか?それとも…そのもの??」 玉木「そうなの!!」 酒井「逆説的やな、だから。たくさんの何かが存在していて、その中の一つとして、地球とリンクしてるやん?「越川さんからの地球」って考えられるやん。オレからの地球とも、tamaki niimeからの地球とも考えられるし。」 玉木「…だけど、「から」はないの!地球の中に酒井も越川さんも私もいるから、いっしょなんよ。勝手に脳が、オレは越川だ、と言ってるだけで。混ぜたらいっしょなんよ。で、宇宙から観たらいっしょなんよ。地球なんよ!あなたは!!」 酒井「言い方を替えれば…」 玉木「変えんといてよ!」 酒井「ちゃうちゃう。例えば、越川さんに越川っていう名前がなくなったとするでしょ?あなたは誰ですか?…」 玉木「ちょっと待って。話がズレるやん、それ。」 酒井「全然、一緒一緒。そうゆうことねん。酒井もそうねん、あなたは誰ですか?って訊かれたら…なんでもないんですよ。」 玉木「だから地球なんやて!」 酒井「人間の言葉からしたら哺乳類です、とは言えるかもだけど、なんでもないんですよ。」 —— 人間の言葉…カテゴライズっていう概念がなければ… 酒井「そうそう。玉木が言ってるのはそうゆうことで、結局、存在そのものが地球だっていう。」 玉木「何ものかであると言ってるだけなんよ、脳みそが。」 —— 言い聞かせてる、みたいな。 玉木「そう。オレは越川だ!他とは違うんだ、と言ってるだけに過ぎない。」 酒井「酒井もそうやしな。」 玉木「そう。空気の中で、オレは良い空気だ、いやオレは悪い空気だ、って言ってるみたいなもんなんよ。」 —— 宇宙的な視点で地球を俯瞰して観た時に、全てがいっしょなんだ、と。 玉木「何もかもいっしょやから。じゃあ、あなたの胃が、ワタシはこうこうありたいんだって言ってるのか?って話よ。」 —— 自己主張なんてしてるのか?と。 玉木「うん、そう。心臓だって調和してこの身体に収まっているわけだから。だけど全体的には、別に個々の主張だって許容されてるってゆうか。愛し合ってる、争ってる、全てが地球なんや。」 酒井「人間ってすごい愚かやなって思うのは、結局は、“ゼロ”ねん。」 玉木「そうなの。だから…」 酒井「“ゼロ”なのに、1にしよう、2にしよう、というので争うやん?」 玉木「宇宙から観たら全てが必然なの。DNAを受け継いで人間が進化なのか継続なのかしてゆく過程でいろんなことが起こるかもしれないけど、その時代時代の人たちは皆んな皆んな精一杯生きてるって話だよ。」 酒井「(宇宙視点では)良いも悪いもないんですよ。」 玉木「宇宙が私で、私が宇宙。これをみんなにわかってくれとは言えないし、言うつもりもないし、いつかみんなが自分で気づいたらいいな、と思ってるだけですよ、私は。でも、その視点に立てると、逆になんでもありになるんですよ。…怖いものがなくなるって言ったらいいかな?」 —— その視点て、「神」の視点なのでは。 玉木「そうなのかなぁ。…別に悪い人もいないし、良い人もいないし、経験の違いや感じ方の違いはあるし、いろんな人がいるけど、ああゆう人は嫌いこうゆう人は好き、じゃなくて、あ、そうゆう人もいるんだな、って観れるってゆうか。」 —— う〜ん…。 玉木「地球の中に自分がいる。越川さんがいる。みんながいる。新たな生命が生まれるし誰かが死ぬ。それって「いのちの循環」だから、地球規模で観た時に、何かが生まれ何かが死んで行くのは全て必然だし、そこにはもちろん嬉しい気持ちや悲しい気持ちも付いてくるんだけど、地球の中で観たら必然だからって受け止められると、もうちょっと心が穏やかでいられるなと私は思う。」 酒井「ちょっと言い方変えると…」 玉木「変えて。」 酒井「人間ていつか死ぬでしょう?死ぬって、ゼロなんですよ。で、人間の人生って、ゼロに向かって生きてるんですよね。」 玉木「100人が100人ね。でも人間だけじゃないけどね。」 酒井「0に0を足しても0でしょう?でもそこに何かあると錯覚するんスよね。」 玉木「意味があるとね。」 酒井「だから感情的になるし泣き叫んだりするわけだけど、でもそもそもゼロなんやよ、ってところに気づければ、まぁ〜フラットに穏やかな人生ですよ。良い意味で。」 玉木「でも喜怒哀楽は大事や。」 —— 大事なんだけど、そこに… 玉木「引っ張られ過ぎるのはダメよ。その塩梅ってゆうか、バランスが大事。喜怒哀楽、感情も含めて五感。それが人間味だし、人生を豊かにすると思うから。平坦で無難な人生が豊かなのかと訊かれたら、それは違うような気がする。」 酒井「例えば、長い道が途中でこうなりああなり、クネクネしてても、遠くから俯瞰して眺めてみたら一本の線なんよ。」 玉木「それだったら、感情の起伏が激しくて爆発しちゃう人がいてもいいんじゃない?…それで人を傷つけちゃうのはどうかって思うけど。」 —— 遠くから俯瞰で人間の有り様を観れるというのはやはり神の視点でしょうかね。 玉木「両方の視点を持つ事が私は重要な気がする。人間味もありつつ、俯瞰してものごとを観れる、その行き来が出来ると愉しい、豊かになる気がする。」 酒井「どうせ生きてゆくのなら、僕は平穏なのが良いんですよね。平常心というか。だけど、どんだけ感情的になろうが、僕は最終的に「愛してるよ。」と言えればOKやと思う。」 玉木「うん。」 酒井「どれだけ言い争おうが人間としてそのひと言が言えるなら戦争は起きないんですよ。愛と平和じゃなくて、愛からしか平和は生まれない。」 玉木「私がなんで白水さんに「いのちの循環」をまとめてもらったのか…自分がどう生きたいかに遡ってこの会社を営んでいるわけだけど、一番起業したかった理由は、私が広い意味で、地球を良くしたいという気持ちの中で生きてるのに、意味がなかったな…と感じるような瞬間が過去にあって。すっごい努力して、こうすれば絶対良くなると考えてやろうとした活動が、上司に全否定されて全部ポシャるとか。」 —— それは若い頃の玉木さんの体験として。 玉木「うん。まあ、地球云々とまではいかずとも、自分がこれが世のためには必要だ!と確信してやってることが否定されて出来ない場合ってあるじゃない?規制が存在したりとか…。でも、地球を良くするという見地からしたら、些細な事柄だと思えるようなケースがけっこうある。でも、なるべく障壁が生じないように自分がどう動けるか?を考える必要もあって。」 —— 今の玉木さんのお話はこの「niime百科」の第1回目と繋がってますね。 玉木「そうなの??」 “突き詰めるとモノづくりがこの地球にとってプラスかどうか。そこしか考えない。” 「niime百科」第1回 「地球基準のモノづくりへ。」の冒頭に掲げた玉木の言葉だ。 世界中にtamaki niimeの作品を届ける、自分たちのビジネスが広がってゆくのにつれ付随してくる大量生産・大量消費、地球の環境や生命体への影響の問題。 そこに考えを巡らせ、遂には新たな方向性を見い出すに至った当時の想いをたっぷりと語ってもらった、2018.4.15の記事。 人間のみならず、あらゆる動物も植物も、地球上に住み暮らすすべての生命体に等しく想いを馳せる取り組みは、モノづくりに留まらず、その後「niime村」の創造へと発展して行った。 パズルのピースを組むように、未だカタチの見えないものを掴むように、最初は全体像がおぼろげで一見脈絡がないようでいて、振り返ってみると玉木とtamaki niimeの歩みは寄り道を繰り返しつつも終始一貫していることを、改めて実感出来る。 その歩みは、酒井がいみじくも語ったように、試行錯誤によってクネクネと蛇行してはいても、巨視的に、大きなスケールで観た時には“一本の真っ直ぐな線”なのだという話と通底しているだろう。 —— 地球から考えるって話でしたから。 玉木「最初に言ってた?」 —— 地球基準で物事を捉えていけば、ブレることはない。皆んな地球の上に載っかっているわけで。社会的制約やしがらみもあるけれども、地球にとって良いことに取り組んで行けば道を誤らない。玉木さんが先ほど仰ってた「自分が地球」という話にも通じるのかなと。 酒井「うん。」 玉木「でも、その視点で喋れない人が多いじゃない。些末な事を主張する人が世の中に溢れてるから。なるべく、ちっちゃな諍(いさかい)に巻き込まれずに、本当に自由に、最速で、私は進んで行きたい。」 酒井「それはすっげーわかる。」 玉木「この世の中、もっとオモロく出来るのに…と思っちゃう。」 酒井「どうせ生きるのなら、五感をフルに使って生きたいよな。」 玉木「私今年はスマホであんまり撮影するの止めたの。それって何か“遺そう”と思ってそこにいるじゃないですか?でもその時点で“ここ”にいないんですよ。」 —— 確かに。“この場”の体感が激減しますね。 玉木「そう。客観的視点でどこを撮ったらどのように伝えられるか?って見てる自分がいらないんですよ。例えば出張に行った先で自分で体験しながら同時進行で撮影してインスタで伝えるってゆうのは、ビジネスとしてみた場合、効率的で正解だとは思うけど、自分がいまを生きる!ってところだけに集中しようと思うと、そんなん度外視して、いまを愉しまないと、“アンテナ”がすり減るんですよ。」 酒井「本来自分の中のゴチャゴチャをまとめなくていいし、整理整頓なんてされてないものなのに、それを整理整頓して伝える、ほんとはそんなことどうでもいいんスよ。そうしてあげないとビジネスにならないってゆうのって…すごい僕はおもんないな、って思う。」 玉木「…感じてる時って、感覚で入ってるから。それで良いんだから。」 酒井「そうそう!それってキッチリ並べられてるわけじゃないやん。」 玉木「ゴチャゴチャで内にインプットされてるけど、そのまんまこう使おう、ってなるのに。スマホ構えたけど、いや違うわって。だから、あえて写真を撮らないことで体験に深みが遺るというか。もっと皆んながそっちに向かえば。その方が、より体験そのものに五感を使える。」 酒井「よりクリエイティブの質が上がるよな。」 玉木「上がる。絶対上がる。」 —— …おのれの五感に素直に、世の当たり前を疑う。tamaki niimeの歩みって冒険、アドベンチャーの物語なんだと思います。 玉木「冒険がないとつまらない。平穏が良いとは思わないから。(酒井とは)全然真逆の人間ですから。」 酒井「だから、平常心と平穏にも色々あるってこと。」 玉木「最近2人でじっくり話したりしなかったから、こうしてアウトプットすることで頭の中を整理できるから。それって大事だなぁと。」 酒井「こんな話、わざわざせんもんな。」 玉木「しない。「niime百科」100回以上やってきたのも、けっこう自分たちのアタマの整理のためってゆうのが多くない?」 酒井「多い多い。」 玉木「言語化することで、あ、そうやね、そう思ってたんだねって確認ができる。」 酒井「スタッフに対してこんな会話しないもんな。」 玉木「しないしない。だからこの会話を読み取ってくれたら良いなと思って始まったところがあるから。これは歴史に遺るからね。」 酒井「総じてこれが僕らの“イズム”ですね。“イズム”であり、“ゼロ”である。」 コインの表裏のように、玉木と酒井の思考は対立しつつ止揚し、エナジーを放出し新たな次元へと向かってゆく。両者は交わっては離れまた交わるを繰り返しながら、ひとつの大きなベクトルを描いてゆく。二人のぶつかり合う生(ナマ)な会話から、そんなダイナミズムをまたもや実感した私なのだった。 さて、次回「niime百科」は年末年始の恒例企画「niimeゆく年くる年」!! 2024のtamaki niimeを振り返り2025のtamaki niimeを予見する、玉木と酒井によるぶっちゃけ対談リターンズ。どうぞ大晦日と元旦の「niime百科」にご期待ください!!

Original Japanese text by Seiji Koshikawa.
English translation by Adam & Michiko Whipple.